ま、こんなもんでしょ blog

世の中とプロレスごっこがしたい50代

都会という地獄 あるいは関東圏の「私が住んでるところは都会だよ(

田舎に住む人間は、その価値を過小評価している。というのが僕の持論だ。そしてそれは地方都市に6年住んでより強固になった。


地方都市という地獄 あるいは関東圏の「私が住んでるところは田舎だよ(笑」が如何に残酷かについて
http://d.hatena.ne.jp/mizchi/20130115/1358216244


この記事の感想としては、およそ長崎に美味しいカステラ屋が多いという事実には同情するとしても、常に複数のカステラ屋が与えられていることを無自覚だ、という点が都会の人間を刺激するだろう。

福砂屋のカステラが買えなかったとしても、買える距離に生きているのだ。さすがにカステラぐらいは都会でもみつかるが、きれいな空気や自然の類はそもそも手に入るかが怪しい。
今ではインターネットで緩和されたとはいえ、それを実際に目にする機会があるかという点において、それを好きになる機会すら与えられないかもしれない。


表題は、都会で育った者を最も怒らせるひと言である。
僕は、18歳まで東京都の新宿区と渋谷区で過ごした。新宿区に12年、渋谷区は6年。渋谷は若者のファッション発信地として常に話題になる区。
僕は自分の育った街、領域を都会だと認識している。


都会には選択肢だらだ。大小の違いはあれど、大きな意味で複数のコミュニティだらけで、目立たなければ誰にも気づかれず、常に無視されているともいってもいい。
大人になっても上司は地方出身者ばかりなのはザラ。高校の時にしでかした失敗は、大人になってすこし盛って武勇伝にしてみるも田舎出身者には伝わらない。彼女の元カレ事情とかもmixiFacebookを漁って知ることになる。誰が誰をどこでナンパした、とか自分から言いふらしても、「あっそう」と返される。就職も田舎よりはるかに能力重視で決まりやすい、未経験とかじゃ雇ってくれない。渋谷では若者向けの街のせいで店に偏りがあるし、駐車場なんて家賃かよ! って値段を取られたりする。Amazonも無理しなくていいのに翌日に届く。


なにより学校の縦社会が全く生かされない地獄。


流行発信地だしオシャレなのでは

その都市に住んでいる人ほど、観光資源に気づいていないことに呆れる。
出島は本当になにもないくせに、交通の要衝を塞いでいるために邪魔でしかない。オランダ坂はレンガ造りの坂以上の価値はなく、その程度そこら中に溢れている。名前が付いているからランドマークになっている…。等々、歴史的な価値やその土地でないとない文化が都会の人間にとってどれだけ価値があるモノかと気づいていない。


都会には選択肢だらけだ

都会では個性や能力を求められるし、それがない人間は後ろ指をさされ、ああはなるなと意識の高い親に利用される。田舎以上に綺麗にアッパーとアンダーにわかれている。

匿名主義の人は、一度都会で無価値なものと足蹴にされてみればよい。その孤独と無力感は、筆舌に尽くしがたいものだから。
僕は中卒だったから他称「変」だとしても許容されたが、そのまま大人にはなれなかっただろう。僕は除外される予定の人間だった。自分のやりたいことは決まってないし、人情味あふれるコミュニティに属したい。僕ぐらいの人間はインターネットをみてればたくさん転がってて奇人というにも烏滸がましい程度だが、そういう人間ですらそうなのだ。
あるいは、大人になるためにある一定の能力を身につける必要があった。それはアイデンティティの喪失であり、都会はより高い能力しか受け入れない。能力の劣るものを容赦なく除外する。


お前の言う都会は甘い、という意見もあるのは予想できる。渋谷区は15.11平方キロメートルの広さに人口21万人。だが、渋谷区にですらこうなのだ。より大きな都市はもっと熾烈だと容易に予想できる。


くコ:彡 ちょっとダイオウイカがとおりますよ〜。

と、まぁ増田にでも書くような内容で元ネタ改変してみた訳だが、田舎だろうが都会だろうが、先進国だろうが発展途上国だろうが、人は生きている。何をするかそのために自分はどうすればよいのか。それを考えて生きていけばいいと私は思う。他人の環境をうらやんで自分のことを卑下するのって悲しいじゃん。その田舎が地獄だと思っていたアナタが、都会生まれだったら今よりスゴイ幸せな自分になれていたのかい? と言って久々の日記更新を終わってみるぶー。