今なんで自分にとってFacebookが面白くないのかが良くわかった件
映画ソーシャル・ネットワークを見てきた
まず、映画館内に入ると小規模なスクリーンとはいえ私ひとりなのに驚く。開始10分前に入ったので始まる頃にはもう少し人が来るだろうと思っていたら、館内の電気が落ちて、予告映像が流れ始めても私ひとり。ソーシャルネットワークの映画なのにひとりぼっちって…。と思っていたら本編が始まる前に女性の二人組が入館。ひとりぼっちじゃなくなったが、3人ってねぇ。地方は死にゆくのみなのか?
と、それはさておき映画の話。
Facebookの創始者であるマーク・ザッカーバーグを主人公に、Facebookの誕生からユーザー100万人突破までに起こった彼の行動と周辺人間関係の変化を描いくストーリー。
映画の情報は公式サイトでも見てもらうとして、私はこの映画を見て「なんでFacebookって流行ったんだろうか?」という謎が少し解けて頭の中がスッキリした。
ネットにあるソーシャルメディアで何が重要かと私が常々思っているかというと、
・自分に有益な情報を発信してくれる相手がいるかどうか?
・実生活にフィードバックできるか?
この点につきる。
その有益な情報の中でさらに情報の順位付けをし、私にとって有益な情報が得られ、さらに実生活にフィードバックできるソーシャルメディアが私にとって良いソーシャルメディアだ。
じゃ、なんでFacebookが流行ったのか?
映画の中でも描かれていたが、Facebookはまず米ハーバード大の学生を対象に作られたSNSだった。ハーバード大に元々あったクラブの概念をネット上に展開したのが成功の秘訣だった訳で。エリート校である、ハーバード大に通う学生がステイタスとして入会が許されるクラブの友人がFacebookを利用する。その人脈にぶら下がりたい同大の学生がぶら下がる。そしてFacebookの拡大路線を考える運営側は、ハーバード大周辺の大学を巻き込む。後から入ってくる学生は自分たちよりいい大学に通う学生とのパイプとして、Facebookを使い出す。
大学生にとっては、Facebookから入ってくる情報や、人脈はとても有益な物だっただろう。それこそ生活に欠かせないツールになるぐらい。
そうやって、全米の学生ネットワークを握り、ナップスターのショーン・パーカーという胡散臭いながらも巨万の資金を引き入れるブレーンともめぐり合い成長していったと。
私とFacebookの距離感
私になぜFacebookが今のところ必要ないかと言うと、Facebookに少ないんですよ、私の有益になる情報が。帰国子女でもなく、海外に友人や取引先が特にいるわけでもない私にとって、Facebookの利点があるとすれば、新たな出会いの場としてぐらいだが、面識のない人といきなり交流できそうな空気を感じないFacebookにまだ敷居の高さを感じている。日本でエリート大学派閥の始めたSNSというと、GREEを思い出すがすっかりソーシャルゲームプラットフォームになってしまったんだよね。今からでも当初のFacebookみたいな大学生がこぞって使うようなソーシャルサービスがあれば…ってそれって日本じゃmixiじゃねーの?